恵比寿日和

続・和歌山 田辺 どこまでもパラダイス

さて、その田辺である。

この地は南方熊楠が米英留学から帰国後に居を構え、終生住んだ場所である。

今回の和歌山行きを機に、熊楠の評伝を読んでみた。

天衣無縫で奇行が絶えず、人と衝突することも多かった熊楠を田辺の人々は温かく迎えている。

評伝を読むと、この田辺時代、人が好くて陽気な町の人々が次々と登場して面白い。

熊楠自身も「当田辺町は、至って人気宜(よろ)しく物価安く静かにあり、風土気候はよし、そのまま当町に住む...」と書いている。

田辺は、地元の「石とみどり㈱橘」の橘さんのお招きで、バイオネスト(※)づくりのワークショップを開くために訪れた。

愛植物設計の山本さんを講師に、5×緑から私とM本君がお供した。


ワークショップの会場は紀伊田辺駅。駅周辺にはコンビニが1軒もない。

代わりに、という訳ではないが、駅前には飲み屋の連なる路地が広がり、「親不孝通り」と称する。

店の数は数百件にも上ると聞いて驚いた。


2日目の夜は、地元の橘さんが同席できず、東京組3人だけで勧められた親不孝通りの軒へ。

「輿がのるとすごい料理を出すんですが、何しろ親父の口が悪くて」と橘さんは随分心配そうである。

趣きのあるガラリを開けて中に入ると、小さなカウンターに先客が1人。

主人が1人で切り盛りしている。

その先客が帰り、店に3人が残された。


「ここの魚は旨いね!」と山本さんが声をかけると「この店ではナァ、気にいらん客は帰ってもらうんヨ」「急がされたりしたら、まずダメやね。手ェ抜くような料理できしませんワ」「気ィ使こうて店やりたない。メンドウクサイ」と、最初からエンジン全開な感じである。

「何しろ口が悪くて」と言っていた橘さんの心配顔が思い出されて私は内心ヒヤヒヤしていたが、そこは山本さん流石である。ニコニコして、「いやぁ、この店にはぜひ行った方がいいって勧められて来たんだよ」。

元々話好きの主人なのだろう。しだいに思い出話の徒然に。

3年前に「女房を亡くした」と言う。子はなく、今はやもめ暮らし。

聞けば店は元々奥さんと2人、絵にかいたような夫婦(めおと)で営む小料理屋であったらしい。

「実は、僕も妻に先立たれてね」と山本さん。「逝かれた時に5キロ痩せたよ」。

と、すかさず主人が「自分は12キロや!」

こんなところでも負けず嫌い、が可笑しかったのか、主人も思わず笑って、空気が緩んだ。

その主人、最近週に2回、近所の神社にお参りするようになったと言う。

「前はなぁ、自分が客に乱暴なこと言うたびに女房が『ごめんやで』ってあやまってくれとった。そやけどもぉ、あやまってくれる人がおらんやろ。そやから、神社に行って神サンに『すんません』言うてあやまってんねん』。

してみると、客に暴言を吐いている自覚はあるらしい。

と同時に態度を改めるつもりもないようだが。

最初はヒヤヒヤしていた私だが、やがて上方の人情話をきいているような心持ちになってきた。

「ご主人、最後に一皿何か」と言う山本さんのオーダーに出てきたのが、この太巻き。

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M本君をちょっとあごで指して、「兄ちゃん、まだ食えるやろ。大阪の寿司いうたら巻きもンやしな」。

M本君曰く、料理屋で食した皿の内、生涯一、二を争う味であったとか。

辞すると、主人は店の外まで出て私たちを送ってくれた。


※バイオネスト   https://www.5baimidori.com/news/201302.htm

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