恵比寿日和
2015年
今年はグリーンを基調とした落ち着いた感じ。
モミ、イトヒバ、ハイビャクシンをベースにヤマボウシやモミジバフウ、センダンなどの実が並びます。
こうしてみると植物の色や形は本当に多彩。
庭や山などの材料で作ってくれるのですが、毎年雰囲気が違うので届くまでわくわくします。
来年も楽しみです。
気持ちのよいお天気ということもあり大勢の人で賑わっていました。
大きな木々に囲まれた中を歩くと空気がすがすがしく、とても気持ちがよいものでした。
元気な子どもたちはほぼ駆け足?!で落ち葉をふみふみどんどん先へ
高尾山といえば「天狗」ですね。
「狭山ひかり幼稚園」のモットーは「踏んでも蹴っても死なない子」を育てることだと聞いています。
私はこのモットーがとても好きで、そんな幼稚園の緑をつくるお手伝いをさせていただいたことを嬉しく思っていました。
自由でおおらか。
園にはそんな雰囲気が溢れています。
それと知ってか、植物たちもひときわスクスクと育っているように感じました。
理事長の 東さんも「周りの木が育って、緑に包まれたようになってきて嬉しいんです。もっと育って森みたいになってくれるといいなー」とお話ししてくださいました。
踏んでも蹴っても死なない子。
植物ってそうだなぁ。
建築の設計は安宅研太郎氏。ランドスケープは田瀬理夫氏。
既存の大木を残して設計された。
建築のプランも伸びやかで、教室を一つに固定しないなど様々な工夫が凝らされている。
グランドのレベルを上げて、建物が少し沈む形。
東さん曰く「エラソーじゃない、受容生の高い建物」。
窓外の緑も元気に育って、お隣の壁はもう気にならない。
テイカカズラで覆われた基盤には、既存の建物を壊したコンクリートガラを詰めている。
東さん「1000年前からここにあった植物にしたかった」。
ビワや桑の実は子供たちにあっという間に食べられてしまう。
園長先生は季節ごとに咲く花を楽しみにしてくださっている。
レベルを自由にする金網ワークがあちらこちらに。
(写真は2013年10月 masacoさん)
門扉も門柱もテイカカズラで覆われた。
(写真は2014年9月 米田和久さん)
ゴジラ!? 庭園灯です。
(写真は2014年9月 米田和久さん)
庭園灯。本来の姿。
夏真っ盛り。子供たちの遊んだプールを天日干しに。
7月25日に味の素スタジアム西競技場の隣にある
「みどりの広場」にて「選択除草」のイベントに参加してきました。
「みどりの広場」には武蔵野の再現した多くの在来種が植えられています。
このため外来種を除き、在来種を残す「選択除草」が行われています。
まずは作業前にインストラクターの荒井浩司さんから「みどりの広場」に生えている在来種と外来種について園路を回りながら特徴などについて説明があります。
在来種には青のポストイットに名前を書いたものを葉に貼り
外来種には赤のポストイット使用して区別されます。
在来種
外来種
説明を受けた後は各自が好きな場所で在来種を抜かないように外来種を抜きます。
特徴が分からなくなったらポストイットが貼られているものを見て確認を行います。
下の写真は「オオニシキソウ」を抜くところです。
草をかき分け、目を凝らしながら根を残さずゆっくりと抜いていきます。
今回、重点的に抜いた外来種は下の2種類です。
今回の説明があった植物のリストは以下の通りです。
こんな小さな芽吹きが一斉に
春というのに、ずっと枯葉を残したままだったオフィスの里山ユニットのコナラに可愛い新芽が。
コナラは普通、枯葉を落として春を迎えます。
なのにずっと枯葉を残したまま。大丈夫かなー。ちゃんと芽吹くのかしら。。。と心配でした。
その思いはみんな同じだったようで、外から帰ったI原さんが歓声を上げているので「ナニナニー?」と覗いてみると、「コナラに新芽です」。
あぁ、本当だ。
本物の春がやってきたんですね。
東京の「開花宣言」を他所に、蕾はまだほころびはじめたばかり。
みんなでお花見をする計画もあって、花の見頃はいつかーと気遣わしいことです。
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
今日から、合羽坂テラスの花便りをお届けします!
わたしの家の春を告げる花は山茱萸(サンシュユ)。
地味で慎ましい花です。
ある日、玄関の扉を開けると黄色い花が満開になっていて、しばし足が止まってしまいました。
といいますのも、この花が咲くと「春も隣り」という気分になるので、毎年冬芽の膨らむのを楽しみに見ていたからです。
ところが、今年は気づかなかった。
気がつかないうちに一気に咲いていて驚いたのです。
「忙しい」は「心を亡くすと書く」とよく言われますが、日々のことに気を取られていたかと、あらためて心の余裕の無さに思い至りました。
それにしても、山茱萸が咲いて桜が咲くまで、いつもはもっと間があきます。
今年は春が「駆け足でやってきた」。そんな感じでしょうか。
以前「恵比寿日和」にも書きましたが、最近ご近所の建て替え、取り壊しが増えていて、櫛の歯が抜けるように立派な庭が姿を消していきます。
わたしの家のお隣も、今時珍しい門かぶりの松のあるお宅でしたが、すっかり取り払われてしまいました。
小さく小割りになった住まいには、もはや庭と呼べるほどのものはできません。
木や草がなくなってしまう町並みを眺めながら、ますます日々のことに心を奪われ、そのことに気づくことさえないまま過ごしてしまうことになりはすまいかと、心配になりました。
先斗町は小さなお店が軒を連ねる繁華街で、舞妓さん、芸妓さんが行きかう花街。
そんな賑やかなところに、三福さんはうっかり通り過ぎてしまうくらい静かに佇んでいました。
建物は大正時代に建てられたものでもとはお茶屋さんだったそうです。
うなぎの寝床といわれる間口が狭く奥行のある京町家で、小さいながらも風情のあるほっと落ち着くお宿です。
畳のお部屋にこたつ。入ったらもう自分の家のようにくつろいでしまいます。
窓からの眺めもこれまた良いのです。
お部屋のすぐ目の前を流れる鴨川。
犬の散歩をする人、ジョギングをしている人、通勤・通学の人、、子供と散歩をする人・・・
鴨川は日常的にとても身近な存在なのですね。
もう少し暖かくなると川沿いの桜が咲き、その足元にはユキヤナギやヤマブキが色を添えるそう。
そしてぐるりとお部屋を見回すと・・・!
なぜか箕(み)に入ったお多福さんが!!
箕は昔から使われていた農具で、穀類などをあおってふるい、殻やごみなどを除く道具です。
余談ですが、今でも現場で剪定した枝葉を入れて運んだりするのに使っています。
女将さんによると、不要なものを吹き飛ばして必要なものが残ることから、お客様に要らないものは置いて帰ってもらい、福だけ持ち帰っていただけたらというそんな想いが込められているとか。
「みの中に福」で「三福」、宿の名前の由来だそうです。
いいお宿に泊まりました。
研修2日目、けんねんさん(建仁寺)に行きました。
法堂の天井に描かれた双龍はそれは見事で、
たくさんの人が天井を見上げている中、
ふと背中から光を感じ振り返りました。
近づいてみると、、、
なんと、そこにはハートが!!!!!
250年前に建てられたというこの御堂にハート!!!
一気に250年が近づいた瞬間でした。
(実は隠れミッキーも)
大徳寺高桐院のアプローチ部分がとても好きで
京都を訪れた際は行く場所です。
竹林の中にある直線のアプローチ部分を2、3回曲がると見えてくる建築。
奥に広がる庭園が建築によって切り取られ、ピクチャレスクの美が印象深いです。
縁側は外部でもなく内部でもない中間領域です。
それは外部の持つ解放感と内部の持つ守られ感を兼ね備えている素晴らしい空間です。
しかし、現代の住宅では敷地の狭さと建築様式の変化で
縁側空間はあまり見かけなくなりました。
家を建てる際は必ず庭と縁側はあるようにしたいです。
今回はその感想の続き。。。
死と再生の繰り返しの中に「永遠」を観るのは、とても日本的な感性だと思うと、先のブログに記しました。
一緒に試写を見た方が、「伊勢神宮は世界遺産に登録できないんだってね。建物が20年しか経っていないから。20年ごとに式年遷宮を繰り返してきたことが凄いのに、それは理解してもらえないらしい」と語っていたのも印象的でした。
二十年ごとの死と再生があったからこそ千年の時を越えて守られてきたものがある。それは、森であり、そこに生きる多種多様な生き物であり、人の技術であり、祈りの形でもあるでしょう。
そのことは、福岡伸一さんの言う「動的平衡」という生命の戦略にとても似ていると思いました。
〈 私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。
しかも、それは高速で入れ替わっている。 略
秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。 略
生命とは動的平衡にある流れである。〉
福岡伸一「生物と無生物のあいだ」
生命はエントロピーに追いつかれないように常に分解と再構成を繰り返す戦略を選択したのだといえます。
伊勢神宮のシステムは、まさに生命のシステムそのものといえるのかもしれません。
良かった。皮膚がザワザワと泡立ちました。
「伊勢神宮の森から響くメッセージ」という副題を持つこの映画は、10年に渡り伊勢神宮を撮り続けてきた写真家、宮澤正明さんのドキュメンタリー映画です。
新緑に映える朱色の鳥居の鮮やかさ
冴え冴えとした月影に浮かぶ社
瀬音の清々しさ
紅葉の森に響く木遣りの歌声
夢とのあわいを行き交うような神官の白い狩衣
遷宮なったばかりの社の木肌の瑞々しさ
美しい、と思いました。
千年を超える時間の中で二十年に一度の式年遷宮を繰り返してきた伊勢神宮。
白洲正子さんは能の真髄を「一旦死んで生き返ったものこそが真に美しい」と語っていますが、
死と再生の繰り返しの中に「永遠」を見るのは、日本人に深く根ざした感性のように思います。
4K映像。
東京では4月下旬に109シネマズ二子玉川で上映の予定だそうです。
ぜひ4Kでも見たいと思います。
公式Webサイト:http://umiyamaaida.jp/
※以下、「うみやまあひだ」公式ホームページより抜枠。
写真家・宮澤正明が挑んだ日本初の4Kドキュメンタリー映画
10年に渡り伊勢神宮を撮り続けてきた写真家・宮澤正明。
かねてから神宮に現代の日本人が失ったアイデンティティーを見出していた彼は、千年以上継承されてきた20年に一度の儀式「式年遷宮」を見届け、改めてその叡智の神髄を映像で探ることを決意。
神宮の神域林、木曽の大檜林、白神山地といった深山幽谷に分け入り、漁師畠山重篤と木を植え、宮大工棟梁や世界的科学者と出会い、隈研吾と北野武に宇宙観を聞いた。
日本中を回り人と自然に触れたこの長編ドキュメンタリーは、森と海と共生を続けてきた日本の心を探る、映画監督・宮澤正明の美しい旅の記憶だ。
「庭のかたちが生まれるとき」の講演を聴きに
京都へでかけた。
彼はフランスの自邸で、
生物多様性の庭を実践している造園家。
その庭は植物と人だけでなく、
鳥や昆虫や動物、
そして吹く風や太陽もかかわって生まれる、
自然のサイクルや姿を尊重した庭づくり。
きっと居心地のいい場所なのだろう。
その自然の大切さを未来へ伝えてゆくには、
人々に「知識」が必要だと説くクレマンさん。
そのお話に共感して反省して・・・。
今、「動いている庭」を読んでいます。 H
私の住む町は古くに開発された住宅地で、門かぶりの松があったり、立派なお庭のある住宅がまだ残っています。
しかし、そろそろ代変わりなのか、櫛の歯が抜けるように古い家が取り壊され、更地に戻るところが増えてきました。
ご近所に、それは見事な木瓜(ボケ)の木がありました。
「更紗木瓜(サラサボケ)」というのでしょうか、白の地にほんのり混じる朱が美しく、花の時期には遠回りして駅まで歩き、花を眺めるのが楽しみでした。
残念なことにそのお宅も取り壊され、たくさん育っていた庭木は根こそぎなくなってしまいました。時代の趨勢でいたしかたないこととはいえ、何十年もの時間の蓄積を持った緑をこんな風に失ってしまうのは勿体無いことだと思いました。
毎年綺麗な花を咲かせてくれていた木瓜の木
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