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恵比寿日和

雪の花

2012-01-24 (Tue)

今朝、窓越しに外を見ると雪が積もっていて!しかも晴天!ときたら
それだけでなんだかウキウキしてしまいます。

オフィスへ移動中、足元に気を取られつつもふと見上げると
冬姿のケヤキの枝先にまとった雪がまるで花が咲いているかのよう。

いつもの道、いつもの景色が雪を通して違う表情を見せていて、楽しい時間になりました。


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京都のこと 町家のこと 3 大人の間合い

2012-01-13 (Fri)

京の町家は市井にあって、道に面した「ミセ」が生業(なりわい)の場となり、その奥側に「オク」や「ハシリ」と呼ばれる生活空間があった。

生業の場と私的空間との間は、多くは暖簾や衝立で仕切っただけの簡単なつくり。内と外の境界は曖昧で漠然としている。
そういえば、外に立てかけられた犬矢来は、竹を曲げて並べただけの簡単な造作だが、私有地と他所とを分ける結界の役目を果たしているという。

すべては「ここから先へは立ち入れぬ」という決まりごとの世界。
モノで囲わず、家は表と柔らかくつながりながら。暗黙の了解で私と公を峻別する。

昔の人は、人と人との間合いの取り方を十分承知していたということだろう。
洗練された大人の付き合いは、生活作法の中から自然に生まれたものだと思う。
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河合貫次郎記念館の犬矢来 
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山種美術館の前にある5×緑の「カズラ垣」は犬矢来を模したもの
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私の好きな本 その7 「家守綺譚」

2011-12-20 (Tue)

トコトン、トコトン、トコトン・・・・・。
山道を歩いていると、どこか林の奥から太鼓の音が聞こえてきた。
10年以上も前になるが、仕事で岩手県の遠野に通っていたときのことである。

音に魅かれて山の中に分け入ってみると、雑木の切れ目から小さなお社が見えてきた。
その前に、やはり小さな土俵があって、裸ン坊にまわし姿の男の子たちが東と西に分かれて並んでいた。丁度中学生くらいから小学校の低学年くらいだろうか。
背高比べのように、背の高い順に可愛らしく、きれいに並んで向き合っている格好が微笑ましい。
周りには親族とおぼしき大人たち。
取り組みが始まるとヤンヤの喝采である。
ジッちゃんもバッちゃんも声をはりあげて応援している。

「ホレッ!ツヨシ、腰ひくくしてぇ」
「ソレイケッ!」

森の中に突然現れた風景に、一瞬、お伽話の中に迷い込んだような気持になった。
イベントの告知がある訳でもなく、周辺に案内が出ている訳でもない。
この村ではきっと昔から毎年毎年繰り返し、この子供相撲が続けられてきたのであろう。

今でも時々あの時のことを思い出す。
そして、「あれは狐狸の類に化かされたのではあるまいか」と思うのである。

遠野といえば、いわずと知れた民話の里。
柳田邦男の「遠野物語」の舞台である。
河童や座敷童子やオシラサマの伝説は、あの頃も暮らしの中に色濃く残り、息づいていた。

もう亡くなってしまったが、私が遠野に通っていた頃、三浦徳蔵さんという植物の神様のような方がいた。
植物について、それはそれは詳しい爺様だったが、山の中の一軒家を東京の友人とお訪ねした時のこと。
時刻は丁度逢魔が時。薄暗くなっていく刻と息を合わせるように、徳蔵さんが狐に化かされたときのことを語りだした。聞かされた私たちはみんな、背中がゾクゾクしたことを覚えている。

さて、今回ご紹介したい本は梨木香歩さんの「家守綺譚」(新潮社/新潮文庫)である。

主人公は若くして亡くなった親友の生家の留守を守っている。
人が好くて、少々気が弱いが、正義感だけは人一倍の真っ直ぐな気性の男である。
土耳古帝国(トルコ帝国)のフリゲート艦、エルトゥール号の遭難の話が出てくるので、時代は明治の頃であろうか。

物語の中では、庭のサルスベリが主人公に懸想したり、子鬼がふきのとうを集めていたり、河童が衣を失くして困っていたりする。
揚句の果てには、亡くなったはずの親友が、掛け軸を通してこちらの世界へやって来る。
こうしたことが、さしたる不思議とも受け止められず、日々の様子が淡々と語られてゆく。
明治というのはまだまだ、物の怪だのあやかしだのが人々の暮らしの中に生きていた時代でもあるのだろうか。
思うに、こうした怪しのモノたちと日常を共にしている方が、人間の精神は真っ当でいられるような気がする。

この物語の章立てには、「カラスウリ」、「萩」、「リュウノヒゲ」など、植物の名が付けられている。
その中に「セツブンソウ」という一章がある。

主人公は文筆業を営んでいるが、筆が進まない。
執筆にはペンとインキを用いているのに筆が進まないとはこれ如何に?と思い至り、そして、
「文明の進歩は、瞬時、と見まごうほど迅速に起きるが、実際我々の精神は深いところでそれに付いていっておらぬのではないか。鬼の子や鳶を見て安んずる心性は、未だ私の精神がその領域で遊んでいる証拠であろう。鬼の子や鳶を見て不安になったとき、漸く私の精神も時代の進歩と齟齬を起こさないでいられるようになるのかもしれぬ。ペンが動かぬ、というよりは筆硯塵を生ず、と云った方が少なくとも私の精神に馴染む」などと感慨にふけっている。

そこへ久しぶりに亡き親友が床の間の掛け軸からやってくる。
友に「おまえは人の世の行く末を信じられるのか」と問われて主人公は
「ペンとインキか。人の世はもっと先までゆくだろう。早晩鬼の子など完全に絶えてしまうだろう。長虫屋などの商売も追いやられてゆくに違いない」と思いながら「分からない」と呟く。

親友が去った後の床の間には「見慣れぬ純白の繊細な造りの花」が落ちていた。
「下界にまみれぬ清澄な気配」を放っている。
その白い花、セツブンソウを拾い上げながら主人公は思うのである。
「成程これでは深山の奥にしか棲息できない」と。

時代は「ペンとインキ」をも遙かに通り越して、パソコンだのスマートフォンだのが主流となった。
世の中はどこもツルリと明るくなって、鬼の子も河童も竜もついぞ見かけることはない。
そうして、私たちの精神は、一体那辺を彷徨っているのだろうか。

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京都の生け垣

2011-12-12 (Mon)

京都を歩いていると、寺社仏閣の名庭園に限らず、一般のお宅やちょっとした料理屋さんのお庭や生け垣がとても上手につくられているなと思う。

京都の町歩きの楽しさもこんなところにあるのではないかと思う。
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人の都合より木の都合?
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季節感のある南天の生け垣
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庭の屋を見せるために下枝を切った山茶花の生け垣
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あさがやふゆものがたり のご案内

2011-12-01 (Thu)

5×緑の里山ユニットもある阿佐ヶ谷のカフェ「ひねもすのたり」からイベントのご案内です。

この夏、手織りの布の展示会

http://www.5baimidori.com/blog/201107-post-71.html

でお目にかかった奄美の田町さんからこんなお便りがとどきました。



"沖縄・奄美~九州~中部~関東~福島~北海道の人・もの・食をつなぐ"

というテーマで、下記のイベントを開催することになりました。

各地から器、手織りの布、旬の無農薬お野菜、手作りの食材などが届きます。


贈り物シーズンにふさわしく、どれもぬくもりの感じられるものばかり

ぜひお出かけいただければ幸いです。


日時 12月7日(水)~12月24日(土)11:30~19:00

   (木,日,定休 12月15日はイベント営業のみ) 

会場 器とcafe ひねもすのたり 

〒166-0001 東京都杉並区阿佐ヶ谷北1-3-6 2F

TEL03-3330-8807 hp http://ひねもすのたり.com/


展示販売作品:手織り、手縫いの巾着、バッグ、国内産絹や麻、ウール 綿などのス

トール、

マフラー、土鍋、直接火にかけられる器、奄美、鹿児島、郡上(岐阜)などのお菓子

や食材、

北海道の無農薬無肥料栽培のかぼちゃ、熊本の無農薬有機栽培のれんこん、

イタリア直送今秋搾りたて無農薬オリーブオイル、オリーブの木のまな板、

奄美クリスマスシュトーレンなど・・


期間中"身体をあたためる食事と飲み物"、をテーマに

身体の中から温まる根菜類や塩麹など発酵食品を使った日替わりランチ

冬の酵素ジュース、黒炒り玄米茶、奄美のくびき茶などを店内で召し上がって頂けま

す。


酵素ジュースのワークショップや身体の芯からあたたまる根菜類を中心とした冬の味

覚を楽しんでいただく会

福島関連イベントもあります。

詳しくはこちらから 


http://plaza.rakuten.co.jp/loveamami/diary/201111300000/


心のこもった手作り品とからだを温める食事で

皆様があたたかい冬を迎えられるお手伝いができますように・・


とうとがなし


おでんの夜に

2011-12-01 (Thu)

先月の句会のお題は、「おでん」であった。

ということで、おでんについていろいろ考えた。
ま、おでんを嫌いな人はいないだろう。
何だかおでんと聞くだけでウキウキ~。
なつかしい、青春の屋台の味でもある。
ところで、おでんの味付けはその家の味覚を象徴するという話しを昔聞いたことがある。
わが家はうすあじのカツブシ&昆布だしベースで塩と薄口しょうゆを少し。
とまあ、関西風によくある味付け。

東京で暮らし始めた頃、おでんの黒いお醤油ベース甘ったるい出汁に驚愕。
さらに 「ちくわぶ」 という、聞きなれない、なにやらぶよぶよした具に出会った時には、
 「こんなものをおいしいと食べる人たちってヘン!」と、思った記憶がある。
今ではそれもそれなりにまずくはないと思えるようになったが、やっぱり関西風の薄い色の出汁のほうが口に合う。

ということで、以下、おでんダネのマイ ベストスリーを決定してみた。

 ジャ~~ンッ!
           ①  さつま揚げ  (何であれ、さつま揚げは好きなのです)
           ②  糸こんにゃく (歯ごたえもいいし、何よりノーカロリーがいい)
           ③  サトイモ    (トロリ感がたまらない)

あとは、たけのこ、たこ、餅いり巾着、そこに銀杏が追随する。
ま、こうしてそれぞれの好みのものをあれこれぶち込み(失礼)、あとは勝手気ままに取り出せるのがおでんの魅力だろう。

さて、恒例のアフター句会では、新たなる発見が ?!
どうやら、おでんを酒のつまみにする人たちにとって、おでんをご飯のおかずにすることは邪道なことらしいのだ。 あくまでつまみであるという。

「なにいってんですかっ!おでんは立派なおかずですよ。だって、おでん定食があるではないですか」と、おかず派を主張した私。

なぜかその話が発端になって、
 「そう言えば、ラーメン定食もあるし、焼そばをおかずにする人もいるらしい」
 「いやいや、いなりずしをおかずにする人もいるらしい」

おっと、話が飛行機デス (註;  話が大きく飛んでいってしまうこと)

おでん鍋をかこみながら、みんなの距離がぐっと近づくある夜のお話でした。


  おでん鍋  僕とあなたの必然性                     結女

 

11月の句会の様子は、以下で覗けます。
http://ameblo.jp/emichacha-ameblo/entry-11082683508.html 

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京都のこと 町家のこと 2 風情

2011-11-29 (Tue)

古今和歌集に

秋来ぬと目にはさやかに見えねども
             風の音にぞおどろかれぬる       藤原敏行

という有名な歌がある。

そういえば、俳句にも

秋来ぬと合点させたる嚔(くさめ)かな

という蕪村の句があった。

つくづく、季節の移ろいは気配で感じるものであったか、と思う。

町家には、表から裏へと通じる土間があって、これを「通り庭」と呼ぶ。
「通り庭」は人が行き来するとともに、自然が往来するところでもあった。

風が通り、光が抜ける。

今で言う庭は「奥庭」や「坪庭」と呼ばれ、時に「壺中の天」とも称された。
棕櫚竹がサワサワと鳴り、葛布の暖簾がかすかに揺れる。

そこに住む人の暮らしぶりが家に染みこんで景色をつくる。

要素や機能に還元できない行間ににじみ出るもの。
日本人はいつも、風情の中に美しさをみつけてきた。
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写真上: 「京都の意匠」 建築資料研究社
   下: 「京町家」 淡交社

林檎の詩(うた)

2011-11-24 (Thu)

林檎の季節。
甘い果実を囓ると思い出す、とても好きな句があります。

星空へ店より林檎あふれをり   
                       橋本多佳子

 
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京都のこと 町家のこと 1 省の生活作法

2011-11-24 (Thu)

この秋、京都に旅をした。
町家の造りに通じる古い宿に泊まって、あらためて京都の、ひいては古くからの日本の暮らし方について感じるところがあった。

京都の暮らし方を見ていると、元々日本人は無駄を省くことの上手な民族だったのではないかと思える。
無駄なことはしない、もったいないことはしない。
物の中にも命の宿りを感じ、古びた物も繕い、手を入れ、別の物に姿を変えて再生させてきた。

町家も然り。
家の部材は使い回しがきくよう、最初から考えてつくられている。
「破壊」や「解体」ではなく「生けこぼち」。

そこからは「省の生活作法」「始末の美学」とでもいうべき昔ながらの暮らしの知恵が透けて見えてくる。

暑いときは暑いなりに、寒いときは寒いなりに、自然に寄り添い、知恵を傾けて暮らしていた。

それだけに、暮らしは一層愛おしく、慈しみ深いものだったのではないだろうか。
 
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夏座敷。生絹(すずし)の簾、簾戸、藤の敷物。
夏の暑さをしのぐ工夫。

写真:「京都の意匠」建築資料研究者

やっぱりホットケーキが好き

2011-11-11 (Fri)

ホットケーキが好きだ。

それは多分、子供の頃の思い出。父に連れられていったデパートでホットケーキを食べるのが楽しみだった。
アイスクリームよりも好きだった。
今もホットケーキが好きなのは、「お出かけの時の特別なお菓子」の記憶があるからかもしれない。

先日京都に旅をして昔ながらな感じの喫茶店に入ったら、久々に正当派のホットケーキに出逢い、懐かしくてついつい頼んでしまった。

翌日、嵯峨野のおしゃれなカフェにパンケーキがあって、またしても注文。
ふわふわしててとてもおいしかった。

ホットケーキとパンケーキは本来同じもので「英語圏では主にパンケーキと呼び厚さはやや薄め、アメリカではホットケーキと呼ぶことが多い」らしい。

クラシックなホットケーキはどっしりしている。
「喫茶店」から「カフェ」へ。「どっしり」から「ふわふわ」へ。「重」から「軽」へ。
ホットケーキも時代に合わせて変わっている。
日本では、おしゃれに「進化」するのとともに呼び名もパンケーキに「進化」したのかしら、などとどーでもいいことを考える。

つまりは、ホットケーキ(今風にはパンケーキ!?)が好き、という話である。
 
 
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バターにメイプルシロップ。由緒正しき日本の喫茶店のホットケーキ
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ふわふわのカフェスタイルのパンケーキ
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スマート珈琲店
 http://www.teramachi-senmontenkai.jp/shop/s20/s20btm.html

カフェ嵯峨野湯
 http://www.sagano-yu.com/
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