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2011年2月の記事

春一番

2011-02-28 (Mon)

東京に春一番が吹いた。

まだ2月というのに気温は20度。
暖かくて強い南の風が東京を吹き抜けたかと思うと、今日は一転、霙交じりの雨である。

齢八十を越す母は、八十年生きてきて、こんな風なおかしな天気は「絶対になかった」と言い張るのだが。。。

三寒四温。
寒くなったり、暖かくなったりしながら、少しずつ春は近づいてくるのだろう。
それにしても、今年はちょっと変化が激しすぎる気がするけれど。

「春一番」という言葉には、どこか心が沸き立つ響きがある。

春になると、草木が一斉に開いてくるが、心もそれに合わせて開いていくような心持ちがする。
実は、心だけでなく、人の身体も開くものであるらしい。
冬の間、縮こまっていた身体が次第に緩んでくるという。
梅の咲く頃に頭骨が開き、桃の咲く頃には胸が開き、桜の咲く頃、骨盤が開く、と教えられたことがある。

してみると、日本人の身体の中にも季節の変化があるということか。
草木に限らず、人の心も身体も四季と深く結びついている。
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予感的中

2011-02-08 (Tue)

何だかんだといって、もう立春。

心なしか、月も星もうるんできたように見えてくる。

いや、もしかしたら、季節のせいではなく、私の視力がますますあいまいになってきたせいなのかもしれない。

 

犯人は次世代携帯こと、「スマートフォン」。

今、使わないと一生使えなくなる(そんな大げさなものではないらしい)と、意を決して、自分への誕生日プレゼントに購入した(もちろん自分で)。

ギャラクシーという、韓国はサムソン製。

「これが一番ビジネスにもつかえて、どこでもつながる」という、家人の言葉に踊らされて、いそいそ、渋谷のDOCOMOショップに買いに行った...。

お店の人から操作説明を聞いているうちにいやな予感がした。

「本当に使いこなせるのでしょうか??」と私。

「最初はみんなそういうんですよ。あっという間に駆使できますよ!」とお店の人。

そうかな~。私人一倍理解力に欠けるんだけどなあ。まあでも、子供でも使っているんだし。

 

予感は的中した。

まず、タッチの反応が早すぎる。

そんなはずじゃないのにという画面がいつも現れてしまう。私の指のタッチにあわせてゆっくり反応してくれればいいのに、何か無駄に早いのだ。

そのうえ携帯の電話帳が使いにくい。

これまでならワンタッチですんでいたのに、23タッチでないと、必要な人に行きつかない。

私は片手で操作したいのにこうなると、両手が必要になるでないか。

 

最大の不幸は新幹線のEX予約ができないこと!!これはもはや致命的。

仕方がないので、携帯電話を持ち歩き、予約を取る段になって、スマートフォンからFOMAカードを抜き出し、携帯電話に差し替えで、終わったらまた戻すことにした。

「なんてこと?」「こんな不便なことみんなやってるの??」

JR東海に問い合わせても、目下スマートフォン対応はできていないという。

一体誰に訴えればいいのダロウ、こんなことってアリ?。

よく、みんな怒らないもんだわ。

まあ、しかし、分別ある大人がこんなことでひるんでいては、次世代についていけなくなる。

きっとウラ情報もあるに違いない。私が知らないだけかもしれない。そのうちだれかが教えてくれるに違いない。

それまでの間、このひとを嫌いにならないようにと、目が潤むほど一緒に過ごす時間をふやしている。

 

あ~、でもなれたころに、きっとアナログ人種向けの次世代携帯がでてくるんだろうなあ。

ココロの中は、もう一度普通の携帯電話に戻ろうかどうか、揺れている。

 

 

月凍る 万年筆の硬き夜は                結女

 

 

 

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木の器

2011-02-05 (Sat)

友人に誘われて、漆器をつくる仁城義勝さんの展示会に行きました。

丁度、仁城さんが在廊されており、藍染めの上っ張りにお髭姿のご本人が部屋の隅に座っていらっしゃいます。

漆器というとデリケートなイメージがあります。作家ご本人が見ているし、恐る恐る器を手に取ろうとして、危うく取り落としそうになりました。
慌てて「ごめんなさい」と謝ると、仁城さんは「なんの、なんの。そんなことくらいではびくともしません。怖々触らないで、どんどん触ってごらんなさい」とおっしゃる。

「でも指紋がつくでしょう」と申し上げると、仁城さんは笑って、そばの器をがっしとつかみ、指の跡に「はぁーっ」と息をふきかけ、袖口でふいて「ほれ、このとおり」。
「心配せんで、よう手に取って、掌になじむのを選ぶといいです」。

安心して次から次へと器を触りまくる(?)わたしたちのそばで、仁城さんが、器づくりについて語ってくださいました。

そのお話が、植木や庭づくりの仕事にも深く通じている気がして、ここにご紹介させて頂きます。

「僕は器は控えめにつくります。用を足すのに邪魔にならんよう、飽きないよう」
「何しろ、飽きは大敵です。漆の器というのは一生使って次の代に伝えるもの。流行や好みが強いと飽きがくるし、なにより次の代の人が使いにくい」
「昔は直し屋さんというのがいて、傷んだ漆を塗り直しながら、何代にもわたって大切に漆器を受け継いでいったものです。そもそも、日本人の物の使い方は、そういうもんだったと僕は思うんです」

「こんなお盆でも、五十年、百年生きた木からしかつくれんのです」
その言葉を聞いた瞬間、栃木の馬頭の森の風景と、その山を守る佐藤さんたちや先日お目にかかったオオタカ保護基金の遠藤さんたちの顔がぱあーっと頭に浮かびました。
五十年、百年生きた木を使うなら、五十年、百年、その器を使い続けるのも道理です。

仁城さんは下地を塗らず、直接木地に漆を塗ります。
器の肌にはムラができます。それは、漆が乾く速度が違うからだそうです。
それを均一にするための「設備」もあるそうですが、仁城さんは「なんの」と、ムラができるにまかせているようです。
節目があっても「これも木だ」と思えば、そのまま使うと言います。
そうしてみると、仁城さんの漆の器は柔らかく、どこか温かみや親しさを感じます。

年若い男性が恐る恐る仁城さんに声をかけました。
さる漆器の産地で職人をしている、といいます。
仁城さんは「産地で生き残れているのは、輪島や越前やほんの少ししかないのに、ようがんばってるね」と嬉しそうです。
若者は緊張気味に「でも、仁城さんのような器づくりは産地ではできない」と言います。
「日本の漆を使わないところもたくさんあるし、化学薬品を使って漆を塗っているところもあります。」
仁城さんは「自分がいいと思う方法で器をつくればいいじやないか」とおっしゃいましたが、若者は「そんなことをしたら、変わったヤツだ、はみ出し者だといわれてしまいます」
「それはようわかる。ようわかるから、自分でできる少しの分だけ、正しいと思うやり方で器をつくって、こうして直接買っていただけるようになればいい。正しい方法でつくったものを待っている人はたくさんいるんだよ。ほら、みてごらん」とお話しされていました。

そして、私は栃の木の小さなお盆とお椀をひとついただいて帰りました。
毎日のお味噌汁を飲むのが楽しみになる、そんな器だと思います。
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朝起きるとテーブルの上に置いたままの器の上に、春隣の日差しが。
何の変哲もないのに「あぁ美しい」と思いました。
その美しさを拙い写真で伝えられるべくもありませんが。。。


 
「木の器」展

http://www.eweinmayr.com/ja/location/tokyo/index.htm





暦通りの

2011-02-05 (Sat)

昨日は立春-----------。

今年は寒の入りと同時に厳しい寒さが続きましたが、立春の昨日は、寒さもゆるみ、日差しの中に春の訪れを感じさせるものがありました。

そうした意味では、この冬は暦通りに季節が進んでいるような気もします。

昨日は、オフィスの電話が鳴りっぱなしで慌ただしく、スタッフのH畑さんが「立春ですから、何かが動き始めているのでしょうかね」と言うのを聞いて、「そうか、日本人の中には、こんな季節感覚があるのか」としばし感慨にふけりました。

立春は、節目の季節でもあるのですね。

むめ(梅)一輪 一輪ほどの暖かさ  嵐雪

探梅行とまではいかないものの、「梅一輪」と期待して公園に出かけましたが、洗足池公園の梅の花芽はまだ堅いままでした。
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「梅一輪」と言うよりも「枝枝は空うばいあい」というかんじでしようか。
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